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2009年 05月 20日

感謝・感謝!

本来ネットという無機質な繋がりにも拘らず、多くの皆様に温かいお言葉・温かい触れ合いを頂き感謝いたします。
この場をお借りしましてお礼申し上げます。m(__)m

亡き父も大の車好きでしたので、車好きならではの喪の服し方をしてきました。

昨日いろんな車に乗せていただきました。


・F430(助手席)
・964Cup(助手席)
・M3 6MT
・M3 DCT
・987 PDK
・993 Turbo S

自分の車も入れると
・E46 328
・986S

多くの時間をKuniさんと過ごさせていただきましたが、ガーズレッドのボクスターで新緑の中をオヤジ二人で
オープン走行もなかなか良かったです(笑)
PDKを峠に持ち込んでの走行は初めてでしたが、不執拗にシフトチェンジを繰り返してしまいますね♪
峠の途中で見かけたお猿さんをナンパしなかった事だけが心残りではありますが・・・

もともとBMWファンな私にとってM3は大好きな車です。
贅沢にもDCTとMTの両方に乗ることが出来幸せです。
どちらを買うかと聞かれれば・・・・かなり迷います。
ただ、確実に判った事は、走る前にモード設定の仕方をちゃんと聞かねばならないと言う事でした(爆)
スポーツモードとスポーツプラスモードではかなり乗り味が変わることを体験いたしました(笑)

憧れのフェラーリ。
ポルシェ・BMWとは違う魅力のある車ですね。
速さ・音。五感を刺激する車です。
オーナーのRokko氏も絶賛のシート。今まで座ったシートで一番でした。最高です♪

993Turbo S
速いです!一緒に乗ったabann氏と笑いが止まりませんでした(^^
ポルシェ恐るべし!空冷恐るべし!!
そしてずーっとスポーツカーの代名詞のポルシェターボの真髄を見たような気がする。
(みなさんの想像通り、帰ってから993ターボSの中古車検索しました。笑)

一緒に遊んでいただいた皆様ありがとうございました。
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by nyr986 | 2009-05-20 11:31 | Comments(33)
2009年 05月 15日

書き記し

平成21年5月10日(日曜日) 午後4時17分
父逝く。

スキルス胃がん
闘病生活約9ヶ月間。
一時は今年の正月が迎えられないのでは?そう主治医に言われた秋。
しかし、思いのほか抗がん剤の効果があったのか、副作用もさほど無く、入退院を繰り返しながら正月を迎えることも出来た。
が、3月ごろから徐々に体重も減り体力を奪われる。それでも3月30日まで仕事も続けた。
4月から母の強い要望もあって仕事を休業し、入院生活に入る。
(このころ1週間で15キロも体重が減る)
正直、もうダメだろうなとみんな本当の意味で覚悟をしだした時期でもあった。
5月5日に初孫の結婚式があるのでそれに出席するのを生きる希望とし、ガンと向き合った。
しかし、そんな父の思いは叶わず、ゴールデンウィークに入ったあたりからさらに容態は悪化。
5月1日に父に会いに病院に行った。
一目見た瞬間「もうダメだな」そう思ってしまった。このころにはほとんど食べる事が出来なくなっていた。
骨に皮をかむっただけの姿。しかし、お腹だけは腹水でポッコリと膨らんでいる。
5日に結婚式を終えた孫とその母(もちろん父の娘であり、私の姉でもある)が病室に結婚式の写真を持って駆けつけてくれた。
容態が悪いながら、笑顔で嬉しそうに、そしてチョット寂しそうに結婚式の写真を見たり、結婚式の話を聞いていた。
元々心臓に持病を抱える母であるが、父の看病に疲れも見せず明るく振舞っている。
姉は6日から10日の朝まで母に代わり病室に寝泊りしてくれた。
姉の娘二人も一緒に。
娘と23歳と20歳の孫娘に囲まれた父はきっと楽しかっただろう。
5月8日は二番目の孫の誕生日だった。
病室で誕生日会を行った。
ハッピーバースデイの歌に合わせて手拍子を打つ父。
すでに水すらのどを通らなくなってきた父であったが、この時はケーキを2・3口食べた。
5月10日
午前中に姉と孫娘達は横浜に帰るため病室を出る。
帰り際、父が「明日お腹の腹水取ってもらうんや」と姉に嬉しそうに言っていたそうだ。
腹水を抜くと幾分楽になるらしい。
孫にはバイバイと手を振っていたそうだ。

3時50分ごろ足を揉んでくれと母に言った。
足を揉もうと布団をめくるとすでに足の一部は紫色に変わっていた。
するといつもよりも呼吸が荒い事に気が付く。
看護士さんを呼びに行く。
父を見た看護士さんはすぐに何かを悟った様子で、機械をセットする。
ピコーン・・・ピコーン・・・ピコーン・・・・ピーーーーー
あっけなく逝ってしまった。

日曜日だったので私は仕事だった。
大体2時から4時ごろが一番忙しい時間帯。
この日もそうだった。
接客から事務所に戻り携帯を目にしたのが4時20分。
母からの着信履歴だらけだった。
伝言には危篤と入っていた。
かけ直すとすでに逝った後だった。
逝ったと聞いても涙は出なかった。
すぐに会社を出て病院に向かう。
父に会っても涙は出なかった。
通夜・葬儀の準備を慌しくすすめる。喪主なのだ。
一旦、父の亡骸を自宅につれて帰る。
夜から明け方にかけて親族が集まってくる。
明けて11日、通夜の会場に父を連れて行く前に棺桶に亡骸を納める。
父の好きだったものや亡くなる3日前に分厚いステーキを食べたいと言っていたので肉も入れてやった。
やはり涙が出ない。
通夜には随分出ているが、喪主としては初めての経験ばかりで慌しく時間は過ぎていく。
通夜も滞りなく終え最後に喪主の挨拶をさせていただいた。
自分でも驚いたが、一言目を発した瞬間から涙声になってしまった。
一気にこれまでの事が走馬灯のように頭を駆け巡った。
話そうとしても声にならない。大声で泣きそうになってしまった。
いったい何を喋ったのか覚えていない。
次の日の告別式。
出棺して火葬に入るその扉が閉まるとき、姉が泣き崩れた。
父と息子の関係と父と娘の関係の違いなのか、この感情の違いはなんなのか?
それとも俺がクールなのか?
喪主は始めてである。
火葬が終わり、骨を拾う前に骨になった父の姿を私一人でみんなより先に見る事になるとは。
これも喪主の務めなんだろう。初めて知った事だった。
「何事も経験しないとわからないな。」
ほんの数日前に父が姉に言った言葉だった。
「床ずれがこれほど痛いものとは知らなかった。何事も経験しないとわからないな」そう言ったそうだ。
私一人、灰になった父との対面はなんとも言えないものだった。どう形容して良いのかわからない。
これまでにない、ズシーンと来る感覚。
先祖代々の墓は富山県にある。
しかし、私と母・祖母は関西に、姉家族は関東にいる。
父の骨は分骨して京都にも納骨することにした。
骨を拾うのも分骨用に二つに分けた。
通夜・告別式すべて終え実家に戻ると、姉の次女が「おじいちゃんの骨持って来ちゃった」と小さな骨のカケラを百均で買った小さなピルケースにガーゼを敷き詰めた中に入れた。
いつも持ち歩くそうだ。
父は孫娘に大人気だった。
僕の父の印象は「恐い」が一番。
私は18歳で独り暮らしを始めているからそれまでの記憶という事になるので、父の若いときの印象が色濃く残っているからだろう。
晩年の父は、穏やかで孫達の前では優しいダジャレオヤジとなっていたようだ。
孫からこんなに愛されるおじいちゃんになれて父は幸せだな~と心底思う。
自分がそんな風になれるか自信は無い。
お金はもちろん大事だけど、貧しくても愛がある家庭ほどステキで価値のあるものは他には無いのかもしれない。


※長らくブログをお休みしてます。
久しぶりの投稿がこのような内容で申し訳ございません。
今回は自分自身のために書いておりますので、何卒ご容赦くださいませ。


編集後記:
この内容の話だと、ニュル元気出せよ!とかチョット心配しそうな書き方ですよね。
あいにく、笑いの絶えない通夜・葬儀だったのです。(^^
太って帰ってきたし。。。(^^;;
久しぶりに親戚が集まると、昔話に花が咲きますね♪
古いアルバムを引っ張り出してきて見たり(驚いたのは松本 清張・瀬戸内寂聴と祖父のスリーショット写真を発見した。)
泣き崩れた姉・・・・と書きましたが、あの時以外は、何か食べてるか、馬鹿話して大笑いしてました。
義理の兄(板金屋さん)と近年の車状況や最近の経済状況を話していた時の方が、神妙だったかもしれません。。。(爆)
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by nyr986 | 2009-05-15 03:02